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松前 勝広(まつまえ よしひろ、明治22年5月10日(1889年6月19日) - 昭和15年(1940年)8月2日)は、明治時代の子爵。旧蝦夷松前藩(館藩)松前氏の第15代当主。父は松前修広。妻は大藪房次郎(実業家、衆議院議員)の三女・スカ。子に松前正広(長男)、松前之広(次男)がいる。 明治38年(1905年)、父・修広が亡くなったため家督を継承する。明治44年(1911年)3月、学習院高等学科を卒業。大正10年(1921年)8月創立の帝国土地開拓(虚業企業として知られる〔 小川功、滋賀大学経済経営研究所『彦根論叢』(368)、2007-09-28〕)の取締役に就任。その後、養老信託(九条道孝の三男で男爵の九条良致が社長を務める会社で詐欺事件で知られる〔『明治・大正・昭和華族事件錄』千田稔、新潮社, 2005、p66〕)監査役、東洋土地開拓取締役を務める。昭和4年(1929年)9月、長男の正広に家督を譲って隠居。昭和15年(1940年)に52歳で死去した。 なお、正広は太平洋戦争に補充兵の二等兵として出征し、昭和19年(1944年)10月にニューギニアで戦死したため、弟の之広が後を継いでいる。 ==参考文献== *『昭和新修華族家系大成』(霞会館・吉川弘文館、1984年) *千田稔 『華族総覧』 講談社現代新書 2001 ISBN 978-4062880015、33p ==脚注== 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松前勝広 (子爵)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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